2010/04/26

ハングリー

できないって理由を探すより、
できるって直感を信じてた方が
人生楽しいと思わないか?
別にできなくてもいいんだけど。
そう思ってるやつが、何人世の中にいるかってことが、
この時代を楽しくするか、つまんなくするか、
決めてる気がする。

偶然にも、
ハングリー精神なんて、てんで無い国に生まれて。
みんな何が幸せで、何が不幸せか、
リアリティの無さが、この街の空気を作ってる。

学校(教育)も悪いし、家庭(親達)も悪い。
国家(政治)も悪いし、会社(経済)も悪い。
そこに悪意が無くて、愛情があったとしても。
信じられるものが、これっぽちも無いんだ
神の言葉に飢えてる
僕達は、この国家が後先何にも考えないで、
愚鈍に成長をむさぼった、ツケを背負わされてる。
金で買える、下らないものをどんどん作って、
悪いものをじゃんじゃん、山に捨てて、海に流して。
良いものをばんばん壊して、その時楽しんで、後に残さないで。
きれいな空気と水だけでいいんだ、返してくれ。
ぶっ★してやろうと思う。サムタイム。

でも、僕達は僕達で、楽しまなくちゃいけない。
この世の中に生を受けた、理由を探さなきゃいけない。
そしてそれは、ひとりじゃできない。少なくとも僕は。

さあ、君の力を貸してくれよ。
僕はひとりじゃ、何もできない

2010/03/10

アルファとオメガ

僕はこれから、
現代に即した洗練された宗教を、
作ることにした。キリスト教の分派として、
新しくも絶対的な価値観を提案する。
僕は今現在、カソリックの洗礼を受け、
その後プロテスタントに改宗した、
キリスト教徒のひとりである。


アルファでありオメガである、
キリストというアイコンに顔は必要だったのか。
彼がとりあえず白人のイケメンだというイメージは、
キリスト教が世界宗教になるための過程で作られた。
布教にはブロマイドやステッカー、
キャラクターグッズが必要だったからである。
救世主の顔は、アングロサクソンとなろうが、
ニグロイドとなろうが、それを求める民が決定する。
ブッダもムハンマドも、永遠のUMAだ。


キリストを通して世界の理を知ろうとし、
その先に宇宙を求めたのがキリストの信者ならば、
顔の有る聖人など、無用の長物に過ぎなかった。
偶像崇拝は禁止されていたはずなのに、
何故民はこれほどまでにイメージを必要とするのか。


信仰の対象が欲しければ、
個を消して何らかの面(マスク)を被り、
抽象的なイメージに徹した存在で、事足りるんじゃないか。
実用的なガスマスクなんかが最適じゃないか。
戦場という、人間が作り出した最も醜い場所において、
己の顔と業を包み隠す、現代的なモチーフ
汚れた空気を吸わないという、超越的なスタンス
そんな顔の無い聖人を崇めた方が、
信仰は余程合理的で、研ぎ澄まされるんじゃないか。


宇宙と同化する方法として、
キリスト教がやってきたことは大いに認めている。
それを取り巻く邪教やカルトと呼ばれたものも、
その意味において同列である。ただそれは、
2000年も前に作られたモノである。
ルターはそれを改革しようとしたが、
彼はこの資本主義の弊害と、
この星の破綻を経験していない。


それ以上、
誰にも定義されることの無い自由な信仰。
絶対的な価値観。
それでも聖地が欲しければ、
無意味な記号の羅列を冠する、
ZZYZX(カリフォルニア州)という土地で事足りる。
それでも聖人が欲しければ、
GM(ガスマスク)を被った、
Xという存在で事足りる。


それらが現代における、
絶対的な価値観の支えとなる。

2010/02/23

生きる理由トリップ ♯2

今日の東京

形骸化した宗教が街に転がる。
滑稽で節操が無いスタイル。
キリストの祭壇で永久を誓うが、
ブッダの祭壇の先祖に手を合わせる。
キリストの誕生を祝って大枚を叩くが、
小銭を投げ出して願いをかけたら、
アニミズムに身を委ねる。
支離滅裂な死生観や、人間の弱さを露呈する。
適度な努力や犠牲を求める宗教行為を、
誰かは欲する。
誰かはそれをバカにするが、
彼は己に救済があると信じている。
彼は狂っているとしか思えない。
相対的に狂っているのは、僕なんだろうか。

信仰をするもしないも、
他の動物と同等であろうとなかろうと、
人間が招いた結果は同じことだった。
宗教に対する不信感
永遠に不完全な思想、哲学
科学、そして資本主義
それらはこの街に、
退廃的で絶望的な空気を充満させた。

理由は明確である。
世界は、「存在しない強者」の論理で作られた。
狂っているのは当然である。
地球にとって人間は、
生まれながらの弱者であるのに。

存在しない神が呼びかける、戒律。
ねつ造された世界が呼びかける、弱肉強食。
それに適応する必要が、果たしてあるのか。
僕達は、自然に淘汰されていない。
劣勢の遺伝子に満ちた哀れな生き物が、
そんな世界で幸せになれるのか。
地球がぶっ壊れる前に。

信仰し続けた人々は、満足であろうか。
超自然的な存在を神と呼び、
神に従うための努力と犠牲を払うことで、
学問と遊興を正しい方向に導こうとした。
彼らを迎え入れる楽園は彼らの中に用意されたが、
悲しいかな彼らの神は、不完全な人間が、
不完全に仮定した存在だったことが暴かれた

信仰を捨てた人々は、満足であろうか。
本能が命じる惰性に身を任せ、
失われた存在の理由を求めて、
自分勝手な学問と遊興をむさぼった。
不完全な神の代用を、不完全な人間の手でねつ造し、
虚像の中で夢や幸せを追い求めることを要求したが、
悲しいかな虚無感やストレス、生態系や地球によって、
そのツケが回ってきたことが暴かれた

幸せとは、自己満足である。
そして今、満たすべき自己はどこにあるのか。
もう述べたはずである。
どこにもない

2010/02/22

生きる理由トリップ ♯1

「人間は、他の動物と同等の存在か否か」に関する議論がある。

僕の「生きる意味トリップ」のスタートはそこからである。

他の動物とは一緒にしないでくれ」と言い始めた人々がいる。
彼らはユダヤ教であり、キリスト教を作った。
人間は神に似せて作られた特別な生き物であるが、
人間は楽園を追放された罪深い存在であり、
何が正しくて、何が悪いかは神が定義する。
彼らはそれを信仰することで、
生きる意味をねつ造することに成功した。
彼らは信仰のために、ある程度の努力や犠牲を払ったが、
いつの間にかに、ねつ造したことを忘れてしまった。

他の動物と一緒でいいんだけど」と思い始めた人々もいる。
彼らは進化論(ダーウィン)を至極当然のように受け止めた。
かつてのジャングルはコンクリートに変わったが、
人間が繰り返すことは太古の昔から同じであり、
遺伝子や染色体のプログラムによって支配されていた。
種族保存、弱肉強食の本能があらゆる活動を生み出した。
何が正しくて、何が悪いかは文明や社会が定義する。
そもそもは神を必要としていた不完全な存在が、
畏れ多くも神の代用として作ったシステムである。
最初から、崩壊するのは時間の問題だった。
彼らにとって生きる意味は、極論ナッシングである。
狼であれ豚であれ、ケダモノが生まれてから死ぬことと
何ら違いがないのだから。

それを望んだのは彼らである。ところがである。
人間とは極めて不思議な生き物であり、
生きる意味が無ければ無いで、不安や恐怖を覚える。
存在の理由が無ければ、個人や集団は幸せになれないからである。
人類は自らが放棄した、生きる意味を取り戻すために、
ケダモノと人間の違いをねつ造し始め、
選民思想を持つことを始めた。地球は彼らの支配下にあると
突然変異が可能にした知性という、
生態系や地球と共生するために与えられた道具を過信し、
それが他の動物と人間を差別化する特性だと定義した。
人々はその存在を、ホモ・サピエンスと呼んだ。
文化や娯楽が生まれ、遊興にふけることも特性だと定義した。
人々はその存在を、ホモ・ルーデンスと呼んだ。
その瞬間に彼らは、神に見捨てられた。

同時に、自分勝手な弱者達が、
自分自身を含む人間は生きるに値するモノだと、
根拠レスに定義し、堕落した民がそれに追随した。
それにすがることが、最もラクだったからである。
そうして作られた根拠レスな共通認識によって、
努力や犠牲、代償を払うことなく
彼らは生まれながらに生きる意味を獲得した。
その内に彼らは思想や哲学を始め、
知性によって野性を回復する運動
学問と呼ばれるモノを生み出すようになった。
その瞬間、
生きることはオナニーと変わらない行為になった。

学問のひとつに医学がある。
自然淘汰を無視し、劣勢の遺伝子を残すことが正しいとされ、
爆発的に人口は増加した。例えそれが惰性であろうと、
生きることを選択し、同時に生かすことを選択した人間がほとんどであり、
それが地球の理に適っていないという発想は黙殺され、魔女狩りされた。
個々のDNAが持つエネルギーが、生きろと命じたからである。
その本能を受け入れることに、知性は機能しなかった
人工統制の無計画さは、飢餓や飢饉を発生させた。
医学が自然摂理から遠ざかって発生したモノなので、
地球にとって狂った結果しか生まれないのは自明の理だが、
それでも知性を過信するなら、解決する道はあった。
大豆や麻の産業を振興して、牧畜や畜産、養殖を駆逐し、
農耕で蓄えた植物性蛋白質を動物性蛋白質に圧縮しないで
世界中に供給すれば、20倍の人口を賄うことができ、
問題は即座に解決できた。

それをしなかった原因はどこにあるか。
先進国と途上国の格差という表面的な問題でなく、
バベルの塔から始まった人類の不協和音であるとは、
あまり多くの人々は考えなかった。
科学や資本が生まれ、それらの無秩序な乱用を防ぐために、
人間は矛盾だらけの秩序や価値観を作り出したが、
それが機能しなくなった時、ケダモノは原爆を投下した。

2010/02/15

アメリカン・ドキュメンタリー・X

■松嶋×町山 未公開映画を見るTV
提供ベースはあるものの、
提供スポンサーが名前を出さない。
東京のテレビには、難しかったこと
単館映画の配給にさえ、できないこと。
この番組は、それをやっている気がする。


■「THE YES MEN」地上波に乗せることの意味は、
あまりにも大きい。
嘘をメディアに乗せ、政府や市場、
国民のリアクションを報道させることで、
本当に直面するべき問題や、真実を浮き上がらせる。
バカな報道は負け犬である。それを嘘として伝えるしかない。
真実を嘘として報道するのは、
メディアが自己否定や自己浄化を図らない限り、
メディアが嘘付きだからだという構造を呈する。
その手法は地上波やメディアにとってのアンチテーゼであり、
THE YES MEN」の存在自体が、
テレビ局や広告ビジネスにとってのタブーである。


「あの会社ムカつくから、株価を暴落させてやったぜ」
そのセンスとアティテュードに、脱帽する。
腹を抱えて、僕は笑う。
「911の真実」から、始まったのだろうか。
そのずっと前から始まっていたのだろうか。
正しいコトを、正しいと発すること。
間違っているモノを、間違っていると発すること。
僕達は、バカじゃないと発すること。
僕達は、怒っているんだと発すること。
ドキュメンタリーの作家は、
アクティビストであり、アジテイターである。
レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンであり、
セイント・アンガー(メタリカ)である。
そしてその怒りは、芸術家の原動力と、よく似ている。
居ても立ってもいられなくなる、衝動。
欲しい情報を待たないこと。
待っている間に、操作されることを拒むこと。
プライマルに、スクリーム(リアクション)すること。
己の内面から何かを発信し、表現すること。


そう言えば、40年ほど前、
ウルトラセブン12話」が欠番した頃から、
本当のファンやヘッズにとって配給や流通のシステムは、
至極ナンセンスなものだとわかっていた。
彼らはどんなところにもコミュニティを形成し、
見たいものを手に入れ、聞きたいものに辿り着く。
このコンテンツ、アメリカン・ドキュメンタリー・Xを、
世界はどん欲に求めるべきだろう。
東京も然りである。
被爆した星人、タブーを求めたのは異常者に限った話ではないが、
奇しくも高名な殺人鬼がそうしたように。
真実がそこにあるなら、僕は甘んじて異常者になろう。


だって、できるんだもん。世界を救うアクティビティなんて。
結局は個人の意識の問題でしょ。
仲間が集まった時、それは革命になる。
ザイゼックスは異常者を募集中です(嘘)。
革命が起きた後には、何が標的になるんだろう。
たぶん神概念と救済しか残らない。

そんな気持ちで。
がんがれ、イエス・メン巨悪を虚仮に、世界を救って。
そして、アグリゲーターであり、今1番キテる映画評論家、
ミスター・マチヤマに称賛を。

アーメン。

2010/02/11

アンヴィル

■アンヴィル

僕はどこかに、何かを忘れてきてしまったようだ。

願わくば、
これがドキュメントだったと、信じたい。
これがドキュメントでなかったら、悲しみしか残らない。
これが動かした僕の心を、踏みにじらないでほしい。

何事も、本当か嘘かどうでもよくなっていた。
胸にこみ上げた、何かを信じたい。
ドキュメンタリーに対して
そんなことを思ったのはいつ以来だろう。

一度でも、ロック・スターを夢見た者に

人間は、どこかで何かを諦める。
グラップラー・バキにも書いてあった。
諦めない人間は、漫画の中にしかいなかった。

僕らは本当の幸せを探そうとして、芸術を始めた。
その答えのひとつが、表現を諦めないことだった。
仲間がいて、家族がいて、待っていてくれる誰かがいる。
その先に、後悔のない人生を送る。
他に幸せなんて、あるのだろうか。

彼らこそが生粋のアーティストであり、
こんな時代に光を照らすモノだと思う。
大量消費される名ばかりのアート、アーティスト。
それを生み出すシステムやイデオロギーに幻滅する、
同じ世代の視聴者や聴取者、諦めた者。
ウスっぺらい言葉や旋律に対するアンチテーゼ。
30年という歳月のみが、雄弁に語る真理。
これはメタルに限った話ではない。
正しい人間の生き様と、本当の幸せに関わる話である。

そして、彼らに一抹のカタルシスを与えた、
東京のヘッズ達に称賛を。

さらに、仕事を理由にトリ前からラウド・パークに参加した己と、
それをそうさせた資本主義社会の労働に奪われた僕の時間に、
最大限のファック

アンヴィルよ、永遠なれ。
アーメン

2010/02/08

ディス・イズ・イット

■ディス・イズ・イット

イットとは、もちろん、愛である

彼は完全なるカリスマであり、
カリスマはもはや、愛しか語らない。
そう、現代のジーザス・クライストである。

最後のカリスマという称号は一般的に、
「メディアを退けることで神性を維持することができた最後の」
という意味で、カラヤンとモンローに与えられていたと思うが、
彼こそが最後のカリスマである。

彼は生まれてから死ぬまで、カメラの前で生きていた。
彼はメディアと共存した、最初で最後のカリスマである。
アルファであり、オメガである

彼は、歌とダンスで伝道し、救済した。
最後のカリスマのドキュメントなので、
ひと目拝もうと人々は映画館を訪れた。

そして、愛に触れた。
ディス・イズ・イットなんだと。
アーメン。

2010年東京の「映画体験」原点回帰シリーズ。
既出1.アクション
既出2.ホラー
既出3.宗教的な何か

4つ目は、エロ。
超エロいの、きぼんぬ。