「人間は、他の動物と同等の存在か否か」に関する議論がある。
僕の「生きる意味トリップ」のスタートはそこからである。
「
他の動物とは一緒にしないでくれ」と言い始めた人々がいる。
彼らはユダヤ教であり、キリスト教を作った。
人間は神に似せて作られた特別な生き物であるが、
人間は楽園を追放された罪深い存在であり、
何が正しくて、何が悪いかは
神が定義する。
彼らはそれを信仰することで、
生きる意味をねつ造することに成功した。
彼らは信仰のために、ある程度の努力や犠牲を払ったが、
いつの間にかに、ねつ造したことを忘れてしまった。
「
他の動物と一緒でいいんだけど」と思い始めた人々もいる。
彼らは進化論(ダーウィン)を至極当然のように受け止めた。
かつてのジャングルはコンクリートに変わったが、
人間が繰り返すことは太古の昔から同じであり、
遺伝子や染色体のプログラムによって支配されていた。
種族保存、弱肉強食の本能があらゆる活動を生み出した。
何が正しくて、何が悪いかは
文明や社会が定義する。
そもそもは神を必要としていた不完全な存在が、
畏れ多くも神の代用として作ったシステムである。
最初から、崩壊するのは時間の問題だった。
彼らにとって生きる意味は、
極論ナッシングである。
狼であれ豚であれ、
ケダモノが生まれてから死ぬことと、
何ら違いがないのだから。
それを望んだのは彼らである。ところがである。
人間とは極めて不思議な生き物であり、
生きる意味が無ければ無いで、不安や恐怖を覚える。
存在の理由が無ければ、個人や集団は幸せになれないからである。
人類は自らが放棄した、生きる意味を取り戻すために、
ケダモノと人間の違いをねつ造し始め、
選民思想を持つことを始めた。
地球は彼らの支配下にあると。
突然変異が可能にした知性という、
生態系や地球と共生するために与えられた道具を過信し、
それが他の動物と人間を差別化する特性だと定義した。
人々はその存在を、ホモ・サピエンスと呼んだ。
文化や娯楽が生まれ、遊興にふけることも特性だと定義した。
人々はその存在を、ホモ・ルーデンスと呼んだ。
その瞬間に彼らは、神に見捨てられた。
同時に、自分勝手な弱者達が、
自分自身を含む人間は生きるに値するモノだと、
根拠レスに定義し、堕落した民がそれに追随した。
それにすがることが、最もラクだったからである。
そうして作られた根拠レスな共通認識によって、
努力や犠牲、代償を払うことなく、
彼らは生まれながらに生きる意味を獲得した。
その内に彼らは思想や哲学を始め、
知性によって野性を回復する運動、
学問と呼ばれるモノを生み出すようになった。
その瞬間、
生きることはオナニーと変わらない行為になった。
学問のひとつに医学がある。
自然淘汰を無視し、
劣勢の遺伝子を残すことが正しいとされ、
爆発的に人口は増加した。例えそれが惰性であろうと、
生きることを選択し、同時に生かすことを選択した人間がほとんどであり、
それが地球の理に適っていないという発想は黙殺され、魔女狩りされた。
個々のDNAが持つエネルギーが、生きろと命じたからである。
その本能を受け入れることに、
知性は機能しなかった。
人工統制の無計画さは、飢餓や飢饉を発生させた。
医学が自然摂理から遠ざかって発生したモノなので、
地球にとって狂った結果しか生まれないのは自明の理だが、
それでも知性を過信するなら、解決する道はあった。
大豆や麻の産業を振興して、牧畜や畜産、養殖を駆逐し、
農耕で蓄えた植物性蛋白質を動物性蛋白質に圧縮しないで
世界中に供給すれば、20倍の人口を賄うことができ、
問題は即座に解決できた。
それをしなかった原因はどこにあるか。
先進国と途上国の格差という表面的な問題でなく、
バベルの塔から始まった人類の不協和音であるとは、
あまり多くの人々は考えなかった。
科学や資本が生まれ、それらの無秩序な乱用を防ぐために、
人間は矛盾だらけの秩序や価値観を作り出したが、
それが機能しなくなった時、ケダモノは原爆を投下した。